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被害怖しとな

磐戸 日が無し

2015年9月15日火曜日

岸田外務大臣!大塚耕平の詭弁に負けちゃだめ!


 

北沢俊美はシナに日本を侵略させて征服する気満々ね?

そもそもねー

左翼なんてのはその思想が犯罪者の正当化。

共産主義とか社会主義なんてのは
今や覇権主義国が他国を侵略するために悪用している思想もどきなのよ。


岸田さんに対して「法務局に聞いたんですか」連呼した大塚耕平もそう。
(それにしても醜サヨw)

集団的自衛権を行使させたくなくて、詭弁と斜め上からの突っ込み。

893が屁理屈で脅してるみたいだけど、大塚はどこまで日本差別、日本人差別してるんだろ?

人として生まれてきたら、誰でも自然権を有しているのよ。

自然権とは人権、生存権、財産権。国が攻撃されることはこれも侵害されることなんだよ。

 

だから、大塚が「法務局に訊いたんですか?」って繰り返した所為で岸田さん声を詰まらせちゃったんだけど、あそこで詰まっちゃいけなかったのよ。

法務局は関係ないの。

自然権を否定する機関なんて、ナチスの収容所くらいです。

大塚は日本国民をホロコーストしたいの????

国連は9条信奉しないと職員として雇ってくれないらしいが、

国連とか法務局とか国際裁判所は関係ないんだよ。

大塚はしつこく「国連51条」って言ってるけど

なんで大塚はそれを日本にだけ強要するの?

日本人は人権守っちゃいけないの?

国連は日本人の人権、生存権、財産権を守ってくれないの?

っていうか、51条は別に集団的自衛権を否定してないよ?


第51条

この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまで の間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。この自衛権の行使に当って加盟国がとった措置は、直ちに安全保障理事会に報告しなければな らない。また、この措置は、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持または回復のために必要と認める行動をいつでもとるこの憲章に基く権能及び責任に対 しては、いかなる影響も及ぼすものではない。
http://www.unic.or.jp/info/un/charter/text_japanese/




安全保障理事会に報告すればいいんじゃない。





2015年9月3日木曜日

【後日談】「ずっと付き合っていたら他の犯罪にも加担させられていて、脅迫されていたかも知れないよ?」

「ずっと付き合っていたら他の犯罪にも加担させられていて、脅迫されていたかも知れないよ?」

実はこれを裏付けるような出来事(後日談)が起こったんです。
高校では鬱々とした日々を送っていましたがめでたく卒業することになりました。

その直前、クラスメートでバスケ部在籍の真美(この子の姓も在日ネーム)ちゃんが、突然、

「あなたって●●さんにパズルの手紙出して・・・それ解いたら●●さんの悪口と“絶交する”ってことがわかるような手紙送ったのってホント?!」

不意を突かれて、ずっと忘れていたことを暴露され、フラッシュバック起こして泣いた私の脳裏に、そういえば更衣室かどこかで、私とはほとんど面識のない中学のクラスメートが真美ちゃんに激しく罵っていたシーンが蘇りました。

その子は日ごろから私につんつんした態度を取っていたので、なんとなく罵られているのは自分かな、と思っていました。

あまり面識がないので、顔は覚えているけど、名前が分からない。

誰にも言ってない事件を、なんで別の中学から来た関係のない真美ちゃんが知ってるの?

その、名前の思い出せない彼女があの時更衣室で話したのだろう。

彼女は、澄ちゃんから話を聞いたのだろうか?

その日はショックであまり考えることは出来ませんでした。

あのとき、遊園地無銭入場事件の後、誰か大人にちゃんと話をしてきちんと対処してもらえばよかったのかもしれませんが、母親は信頼できないし、誰に話していいかわからないで、

なにより私もショックで、
こんなわけの分からない輩とは
一日も早く関係を断ち切りたい、
過去を否定して無かった事にしたい、
と言う気持ちと彼女への侮蔑感情が凍り付いて、
結果意地悪で陰険な仕打ちをしてしまった。

親友って言いながら、犯罪に加担させるとか何?

絶対悪意だよね?

日本人の人生を破壊する???

どんだけ反日なんだよ?

こっちは親友だって信じてたんだよ?


今でこそ言えますが、
もし当時彼らが日本人じゃないって知っていたら、
今の千億倍の憎しみと軽蔑と排斥感情でKKK団長やっていたかもしれない。

もしかして澄ちゃんが私の詰問に目を伏せていたのも、
悪意を悟られないように、隠したかったのかもしれない。

「悪気がない」とか「殺す気はなかった」とか半島人十八番の良い訳だし。


当時の自分の感情(強烈な悪意)を分析するに、

日本人が大切に守ってきたモラルをやすやすと破壊して、
日本人のアイデンティティを崩壊させねない行為を
何気なく?悪気なく?行ったことに対して11歳の子供の心が恐慌に陥った。

結果、自分を守るために無意識にキツイ罰を親友(と言って私を騙した相手?)に与えてしまった、と言うことなのだと思う。


だって、彼女のお父さんは、娘を
「そんなことしちゃいけません」
って諌めるどころか、
率先して無賃入場などと言う行為を娘にさせてきたんだもの。

これが第二のショックだったと思う。

親子で日本で嘘つき泥棒をしながら暮らせとか…

顔は日本人と変わらないのに…シャドウ民族







その子はいつもおどおどきょろきょろ、決して目を合わせることはありませんでした。(3)

私が住んだ東京の街は、じつはインテリ左翼のメッカの町でしたw


この頃、私は中二になり、クラス替えで新しい友人とも付き合うようになっていました。

街の工作所経営者のお嬢さんでした。

彼女とは映画や音楽の好みがぴったりで、
よく毎週外国の音楽番組を見ては、毎日のように語り合っていました。

その時はクラシックも良く聞いていましたが、アメリカンポップスやブリティッシュロックに夢中になりました。

英語の魅力にも嵌り、成績はトップクラスに。

彼女も明るく天真爛漫で成績は中の上、ピリッとスパイスの効いた話術と鷹揚な人格が魅力的な子でした。

そこにいるだけで周囲が明るくなるような彼女に雰囲気に、癒されたのでしょう。

中学のころの楽しい(サン・スーシィな)思い出は主に彼女に負っていたような気がします。

一年からの友人の世紀末子とも相変わらず付き合っていました。

クラブ活動では絵が得意な私は美術部にいました。

別に就職に役立てようとか、コンクールに出そうとか、全く思わずにただ趣味でひたすら描いていました。

デッサン力はなかなかのものだと思います。

あるとき石膏像の絵を書かせて、優れたものをコンクールに出そうと言う話が来ました。

参観日があったのですが、そのときに美術教師はある生徒の絵をやたらとほめるのです。

確かに大人っぽく個性的なタッチで描かれたデッサン画は中学生とは思えないほど堂々としたものでした。

しかし本物そっくりに描かれているのは繊細なタッチの私の絵です。

そして教師の後ろにはその子の母親が佇んでいました。

(重い表情で俯いてなんか暗い雰囲気だな)と思ったのを覚えています。

結局その子は美術教師に便宜を図ってもらったのか、コンクールに出品しました。

当時は関心がなかったので、結果は分かりませんでした。

私に目をかけてくれた国語教師が作文をコンクールに出してくれていたから別にいいやと思っていたのかも。

それだけなら良かったのですが。

高校の進路相談のとき、担任は私より成績の悪い世紀末子を偏差値のいいY群の高校に送り、私をそれより低いランクのG郡の高校に送ることに決めました。

今思えばこの教師も在日ネーム。

Y郡は明るく雰囲気のいい、私服OKの高校が多くありました。

高校に進学した世紀末子は毎日楽しそうで、表情がリラックスしていました。

私は浮かない顔でした。

この高校でも、日教組の教師が威張っていました。

生徒はバカですが暴力行為は行いませんでした。

しかし明るさも愛もない。

(こんなことなら、私立の高校に行けばよかったな)

私は陰々滅滅な高校生活を送りました。

そしてこの頃近づいてきたのが、民青同盟。

マイク本田そっくりなシナ顔をした五十嵐君が私を誘いに来て更なるエアポケットに・・・










その子はいつもおどおどきょろきょろ、決して目を合わせることはありませんでした。(2)

暗い(不気味)・・・

なんか怖いな・・・

彼女の家に行くといつもそう、感じていました。

なぜかというと、私とは母は当時マンション住まいで、

きれい好きな母と夢想家の私が選んだ調度や照明が窓の大きな白い壁の部屋に映えて、

新しく、清潔で明るい空間に保たれていたからです。

あと私と母の天真爛漫で明るい気性から出るオーラでしょうか?

海のように青いカーペットに置かれた最新のオーディセットから流れる彼女から教わったクラシック名盤を私も母も楽しんでいました。

 
彼女は、なぜか私の母が好きで、いつもまぶしそうに母を見ていました。

実際彼女は私の母について、尊敬している、羨ましいとも口にしていました。

言わぬは花ですね。
しかし母のほうでは、彼女を嫌っていたのです。


実は私と彼女は、お互いの家族について、非常な不満を持っていて、よく泣きながら語り合ったりもしました。

彼女はあまり自分のことは語りませんでしたが、かなり大変だったと思います。家の雰囲気からして。


あるとき遊びに来た彼女が、深刻に思いつめた顔をして、母が帰ってきた時も家に帰らない日がありました。

(何かあったんだ…)

そう思って話しかけても、彼女は何も話しません。

無表情に黙って、私の部屋の隅に座り、何時間もそうしていました。

とうとう母親が切れて、すごい剣幕で「出て行きなさい!」と彼女を追い出してしまいました。

彼女が玄関に向かっているときも、大声で文句を言っていました。


帰ってくると母は私を見て、

「ねえ、私あの子は気に入らないのよ。あなたの友達でも澄ちゃんは良かったわねえ~明るくて素直で」

(いやでも私はその子のおかげで犯罪者の仲間入りをさせられそうだったんですけど)

(いくらホラーな家屋で根暗で焦点合ってない目をしてるからって
犯罪?常習者?の子よりましじゃないってことはないと思うし)


少なくとも彼女は犯罪者になる子には見えなかったし。










つづく。

その子はいつもおどおどきょろきょろ、決して目を合わせることはありませんでした。(1)

「ずっと付き合っていたら他の犯罪にも加担させられていて、脅迫されていたかも知れないよ?」の無賃入場事件の後でしばらくして、友達不信に陥った私に、ひっそりと近づいてきた、それまでクラスでは目立たなかった一人の女の子がいました。


この子がどうして私に近づいたのか…

やはり、帰り道が同じなのです。

ある曇った6月の日に、
「家でアイスでも食べていかない?」
とその子から誘われたと記憶しています。

6月になっていたということは、中一の話だったと思います。
食料品店を営んでいたその子の家に誘われ、暗くて古い3階建ての家に誘われたのです。

その時も、彼女は人と目を合わせずに話す、たまに目を合わせるとセカオワの深瀬のように虚ろな光の無い目を向けてくる子でした。

仮に、彼女のことを世紀末子と呼ぶことにしましょう。

彼女の家の中もとにかく暗い。

足音を立てずにいつの間にか彼女の家族が背後にいる。

健全な家族が生活を営んでいるとは思えない、病的でホラーな空間でした。

最初は音楽や小説、コミックの話をし、中学生になった私はその子が持ってくる文化的な香りのするネタに夢中になりましたが、とうとう彼女の家には馴染めずにいました。

たいていその日の話題、事件事故文化芸能など有名人の話や話題の店や流行などの話を持ってきます。

後で気づいたのですがこれらのものは全てある関連性があり、彼女は毎日毎日、ステマを流していたのでした。

その証拠に、話題豊富で物知りに見える彼女に、たまに私から話を振ると「知らない」「関心が無い」と言って自分の話題に強引に戻してしまうのです。

私が持ってきた話題や音楽には関心が無くとも取り合えず聴くとか、それを中心に話すということは、絶対しない、出来ない子でした。

私は友達の話すことだから、取り合えず聞いていたんですけどね。

博識に見えるのに、精神病者か罪人のように目つきはおどおどきょときょと、なんか心はいつも一杯一杯で人の話を聞いてない。

成績も中~中の下。
なのに上から目線、と言う不思議な子でした。






つづく。

「ずっと付き合っていたら他の犯罪にも加担させられていて、脅迫されていたかも知れないよ?」

【転載】「VOICE今月号の記事に衝撃の事実が…!」
の続き。

親日国民の皆さんおはようございます。


今回から自分の子供時代の体験談を通して、戦後統治と称して、今に至るまで日本国民に嫌がらせを続ける反日勢力の様々な陰険な工作を紹介していきたいと思います。

これは私が「左翼もびびる反日カルト団体、統一教会」に在籍した時に見聞きした事実および伝聞、脱会後に実際に身の上に起こった「集団ストーカー」被害、ネットで知った近代現代史における日本国の驚きの事実&真実、これから想起して私の赤ちゃんの頃から反日勢力というものが社会で大活躍来たという事実、そんなことをまとめていきます。



「【転載】VOICE今月号の記事に衝撃の事実が…!」

にも書きましたが、

>昭和40年代は日本の第二次ベビーブームだと思ったんだが。
ただしこれが日本人の子供たちとは限らない。

>今思えば小中学のクラスの大半は非日本人によって占められていたのではないのかと思います。


この時、私が通っていた田舎の小学校のクラスは日教組教師と不良在日家庭の子供に荒らされて大変でした。

これ実は私が転入した都会の小中学校でも、形を変えて続いていたんですよね。


私が転入した小学校は、狭い校庭を持つ日本でも古い歴史のある小学校でした。

しかし皆さんが知っているとおり、左翼って世界主要都市や歴史的文化的遺産のある街や建造物、皇室を始めとする重要機関などを乗っ取って来るんですよね。

中共の仕込みなのか、理科教師は「鈴木(これとか藤○とかシナ人の好きな姓だよね)」と名乗り、なんと

「中国では豚をタコ殴りにして殺して作った北京料理は美味しい」

などという話を小6の児童に語って聞かせていました。

そしてこのころ、クラスに目立たない一人の女の子がひっそりと近づいてきて、私の友達になりました(後述)。


転校生だった私は小学校のときに過ごした友達との思い出が忘れられず、田舎を懐かしがってばかりいて、あまり積極的に友人を作ろうとしませんでした。

ワックスのかかった古い校舎はいつも油染みた臭いがし、
校庭も少なく、たまに遊んでいても体育系の男の子が割り込んできて占領してしまうので、畢竟、読書ばかりしている典型的文化系女子になりました。

成績は良かったので先生にはそれなりに目をかけてもらえ、
クラス委員をするような頭のいい上品で可愛い女の子と家が同じ方向だったので、一緒に良く帰っていましたが、友人ではありませんでした。

実は私と同じ頃転向してきた「澄子ちゃん」という子がうちに遊びに来て、母親が気に入っていたこともあり、家でよく遊びました。

私たちは親友になり、この子も私を自分の家族や親戚の行事に誘ってくれるようになりました。

しかし、ここで青天の霹靂のような問題発生。

その日は澄子ちゃんの家族(お父さんだったような気がする)に誘われて、親戚友人と最近出来たばかりの某テーマパークに遊びに行きました。

朝から団体入り口には団体客が来て、開始時間を待っています。

「間に合った」
と澄子ちゃんのお父さんはおおい、と嬉しそうに手を振りながら、顔見知りらしい一団に声をかけます。

声をかけられた人たちも嬉しそうににっこり笑うと私たちと混ざり始めました。

(澄子ちゃんの親戚の人かな・・・?)
 
「あの人たち、澄子ちゃんの親戚なの?でもあまり顔は似てないね」

澄子ちゃんは黙っています。

(あっでも明るそうな態度や体型は澄子ちゃんのお父さんに似てるかな…あの女の人とか)

その時開始を告げられたのか、待っていた人々がどっと中に入る気配を感じました。

澄子ちゃんのお父さんが、
「ようし、行くぞ!」
と声をかけて、私たちは他の団体客と一塊になって改札になだれ込み、遊園地の敷地に吐き出されました。

「あれ?切符とか出さなくて良かったの?私お母さんにお金もらってきたんだけど。」

「みんな、一緒だから」

と言ったっきり、ここでも黙ってしまった澄子ちゃんの態度に引っかかるものを感じながら、みんな(澄子ちゃんの家族親戚友人?)と一通りアトラクションを楽しんだ私は、帰り道で、以前から「澄子ちゃんの親戚のお姉さん」という触れ込みでしばしば仲良く一緒に遊んでいたお姉さんに次のことを告げられ、ショックを受けました。


「入場料なんて払ってないよ。

適当に団体客の振りをして一緒に入っちゃっただけだから。」


「???」


がーんと頭の中が鐘の音が鳴り響き、目の前が真っ暗になりました。


なにそれ無賃入場じゃん!


私無賃乗車も無銭飲食もしたことないのに!


私は確かに田舎の小学校から転向してきた貧しい家の出(このときはまだ自分の先祖について無知だった)で現在母子家庭(でも母は潔癖症の公務員)だけど、犯罪なんてついぞ起こしたことも起こそうとしたこともなかったのに!


澄子ちゃんは私を騙したんだ・・・!


親友だって言ってたのに…!


私を犯罪(大げさに言うと)に引っ張り込んだんだ…!


本能的に嫌悪感が沸き起こり、反射的に澄子ちゃんに対して自己防衛による拒絶の扉がピシャッとしまりました。

それ以降、私は彼女を蔑みの目で見るようになり、避けるようになりました。

最終的に、彼女に絶縁状を送りつけました。
ずいぶん後になって、知人にこのことを話したら、

「やばかったね。
たぶんそれ在日。
ずっと付き合ったら他の犯罪にも加担させられていて、
脅迫されていたかもしれないよ?」

って言われましたが、この話には後日談があったのです。

























【転載】VOICE今月号の記事に衝撃の事実が…!

2015-08-29 09:21:17
テーマ:
こないだ、「WILL」と「VOICE」をぱらぱらと立ち読みしたのですが…

第二次大戦後(1945)

日本の人口は7千万人ほどでした。
それが18年間で一億に…ってありえません。
戦後急速に日本の人口が増えたその内訳は?

>団塊世代が生まれる前は戦中、戦後直後であり、出産を先送る傾向にあった[5][6]。その反動だけでなく、第二次世界大戦の終結に伴って大正世代の若い男性が復員し、1940年代後半に婚姻をする男性が増加したことに伴う出生人口の大幅な増加も発生し[7]、ベビーブームが発生した。(wikipedia)

※団塊の世代のウィキは気持ち悪いので読まないのがお勧めです。
(「偽団塊の世代」とか誰目線よ気持ち悪いw)

昭和40年代は日本の第二次ベビーブームだと思ったんだが。
ただしこれが日本人の子供たちとは限らない。

私が小学生のころ、シャンプーのCMで

「日本の人口一億に~ん」
と謳っていて、当時は気づきませんでしたが、
今思えば小中学のクラスの大半は非日本人によって占められていたのではないのかと思います。

私が生まれ住んだところは、父と祖父母が東京から疎開して逃れてきた田舎でした。
父はそこで市役所で働いていた母と出会い、結婚して私が生まれました。

私の両親は一度も戦争や在日朝鮮人のことは口にしたことがなく、
ただ戦争については祖母だけが日露戦争で戦った祖父のことを当時の写真や小さな勲章を見せながら少しだけ教えてくれました。

したがって私も統一教会のセミナーに出るまでは、半島の歴史を含めて日本の近代史、在日の存在なども全く知りませんでした。
恐らく当時の日本人は皆このように無知であったと思います。

「戦後増えた子供たちは果たして「日本人の子供」だったのだろうか?」
と疑問に思える原体験をしたのもこの田舎の小学校でした。

小一クラスの日教組の暴力女教師が6歳の子供を虐待、嫌がらせ。
睨みつけて何も悪いことをしていない怯える子供にいきなり平手打ちをする。
不良在日家庭の子供が日教組の教師と共謀して真面目な児童に絡んだり苛めを行う。
サルのようにデザートを食べながら歩き回る。
授業妨害
日本語もろくに読めないのに日教組の教師に渡されたあんちょこで中の上の成績をキープ。
テストでは仲間同士でカンニング。日教組の教師は黙認。
定期的にいきなり他の児童に暴力をふるう。
日教組の教師と組んで他の児童に嫌がらせ。
クラスで問題が起こる(起こす?)と日教組の教師自ら解決するふりをして授業妨害。
PTAや職員会議で問題になるとクラスで一席ブチあげながら授業妨害。
このクズ教師、大学生の娘を持つ初老の足の悪い女で高梨美智子(多分通名)っていったかな。

田舎の小学校だけでもこんな感じで、まともな日本人なんていなかったように思う。

疎開してきた日本人は東京に帰ったけど、我が家では祖父が亡くなり、跡を継いだ父の意向でここに残ったのだろう。

帰れば良かったのに。

しかしこの問題は、私が別居した母を慕って小6の夏に東京に行ってからも終わらなかったのである。

続く。

先月から表示されたこの文章ってなんなの?


もしかしてパクリデザイナーが西欧の王室にケンカ売った所為なのかしら?


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